
ホクレア号
ポリネシアの人々が高度な航海技術を持っていたことを証明したカヌーであり、ハワイアンのアイデンティティの基盤を作ったともいえる、プロジェクトです。
ハワイのアイデンティティの基盤ともいえるでしょう。
ホクレアを最初に知ったのは90年代、日本に住んでいた時でした。90年代に流行った「ガイアシンフォニー」というドキュメンタリー映画の上映会を企画したがきっかけでした。
その当時は、ハワイに引っ越すなど考えたこともなかったのですが、航海術と文化の奥深さ、深い人間性に惹かれたのを覚えています。未だにホクレア号と聞くとちょっとドキドキするのです。
その数年後、2001年にハワイに移住しましたが、実際にホクリア号に対面したのは、2018年。コナのカイルア・ピアでホクレアを実際に目にしましたのですけれど、
正直に言うと、思っていたより小さかったです。よくあのサイズのカヌーで海を渡るものだと感心した訳です。2018年のブログはこちらから。

1976年5月1日:始めるという決断
人々がホクレアについて語るとき、しばしばタヒチへの到着の偉業がクロースアップされます。
しかし、より重要な瞬間はそれより前、カヌーがハワイを出発した1976年5月1日だと考えています。GPSもなく、現代的な安全装置もないなかで、古代ポリネシア航海術を使い、航海をするというのは、まさに勇気と信念そのもの。
そして、今年の5月1日で、その偉業から50周年となります。
ホクリアが証明するまで長年にわたり、ポリネシア人は海を漂流して、偶然ハワイまで渡っただけだと考えられていました。 ハワイアンは南アメリカ大陸から流れ着いたと考える専門家もいました。
ホクレアはその考えに真っ向から挑戦し、成功したわけです。
星が方向を示し、海のうねりが動きを明らかにし、風、雲、さらには鳥までもが信号となったわけです。あの小さなカヌーで成し遂げたとは、正直信じがたいです。
心の中に生きる知識
ホクレアの最も魅力的な側面の一つに、最も重要な技術に触れることができない、という点だと思います。AIや技術が進化しつつも、その本質はもっと奥深い人間的なところに根差しているのが、惹かれる理由だと思います。人間の限りない可能性を感じされられます。

航海士の頭の中に存在する航海術は、地平線を区分整理し、特定の星の昇る位置と沈む位置によって方向を見極めるそうです。
たとえ星が見えなくとも、海は情報を提供し続けているそうで、微細なうねりのパターンをカヌーを通して感じ、風や雲の変化が手がかりを与え、鳥は陸地の近さを示します。
まさに世代を超えて築かれてきた、知恵の蓄積と自然との洗練された関係といえるでしょう。
出発から認知へ
ホクレアが1か月以上かけて、1976年6月4日にタヒチに到着したとき、1万7千人以上が出迎えたそうです。何か深く共鳴するものを感じて集まったのでしょう。
到着というよりも、帰りを待っているかのようだったそうです。2,500マイル以上の距離はとてつもなく遠いですが、それ以上の意味があっと今になってよくわかりますよね。
1980年、ナイノア・トンプソンが600年以上ぶりに、計器を使わずにタヒチへ航海した最初のネイティブ・ハワイアンとなったわけです。
彼はビショップ博物館のプラネタリウムといった現代的なツールを利用して星を研究などを行ったそうです。それは伝統を置き換えるためではなく、それを理解し再構築するためでした。
その後、ハワイおよび太平洋全域で、ハワイアン言語やフラといった伝統が再度見直され、ポリネシアのコミュニティ同士のつながりの再構築にも大きく貢献したのです。
多くの場合、最も重要なのは到着と成功ではなく、「始める」という決断なのかもしれません。
心に残っているナイノア・トンプソンの言葉があります。
「心の中で島を見ることができなければ、海の上でそれを見つけることは決してできない。」
まさに、その通り。